あそび

とりとめなく書いた文章だけど,shubの「月記」に(なんとか)なるよう3月末日にアップ.

遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけん
遊ぶ子供の声聞けば
我が身さへこそ動がるれ
(『梁塵秘抄』巻二359)

最近,森鴎外の小説を読み返している.より正確に言うと,筑摩文庫からでている森鴎外の小説集を買って読んでいる.読んだ作品も多いけど,読んでいない作品もあって面白い.その一つが「あそび」.誰だったかが,森鴎外を挙げて,人生はその窮極において遊びであると書いていたのを目にして以来,この短編「あそび」が気になっていたのだけど読んでいなかった.

木村はゆっくり構えて,絶えずこつこつと為事をしている.その間顔は始終晴々としている.こういう時の木村の心持ちは一寸説明しにくい.この男は何をするにも子供の遊んでいるような気になってしている.同じ「遊び」にも面白いものもあれば詰まらないものもある.こんな為事はその詰まらない遊びのように思っている分である.役所の為事は笑談ではない.政府の大機関の一小歯車となって,自分も廻転しているのだということは,はっきり自覚している.自覚していて,それを遣っている心持が遊びのようなのである.(森鴎外「あそび」)

木村の役所の為事と同じく,毎日の生きの営みは笑談ではない.困難なことも多い.ただ,その困難さを正面で受け止めつつも,心のどこかに「あそび」の精神を持っている人はときどきいるような気がする.私は『ルービン回顧録』にある一節を連想した.

ルービン元米財務長官は,ハーバード大学卒業とその後のイェール大学ロースクール入学の間に,ロンドンLSEの「気楽な」聴講生として一年間を過ごした.青年時代のその一年間に,オーストリア,フランス,イタリア,ノルウェイデンマークスウェーデンと旅行したという.パリでの6週間のクリスマス休暇について,ルービン氏はこうふり返っている.

まるで見当違いかもしれないが,私はこれまでずっとこう思ってきた−−自分の人生がもし別方向に進んでいたとしたら,パリでのあの日々,あるいは六〇年代以前のケンブリッジのコーヒーハウス文化に象徴されるような暮らしをしたのではないだろうか.年月がたち,しだいに既成の権力組織にはまっていっても,私は,もし自分がそうしたければ,この体制からいつでも抜けられると思い続けていた.ただこれにて失礼と言って,すりきれたカーキーの服に身を包み,サンジェルマン・デプレの小ホテルにチェックインすればいい.ピンストライプのスーツ姿でない私を見たことのない人にとっては,不似合いだと思えるかもしれないが,私はあの頃,のんびりと自由気ままに暮らす道を無理なく選ぶことができると思っていたし,いまでもそう感じるのだ.現実にはありえないだろうが,この可能性があると思うことが,プレッシャーのかかるときの精神的な逃避手段になっている.(『ルービン回顧録』p.92)

この一節を読むと,当たり前ながら私とはかけはなれた世界に住んでいる人だなと思う一方で,ルービン氏の心持は鴎外の「あそび」に通じるところがあるように思う.ところで,こういう文章にパリが現れるのは,アメリカ人にとってパリは移動祝祭日だからなのだろうか*1

うろ覚えだけど,ある登山家が「自然の雄大さを思い起こすとき,自分の悩みなんて小さいものだと思う」というようなことを言っていたと思う.この心持も,鴎外のあそびに少し似ているかもしれない.ただ,たしかに,自然の雄大さに比べれば個人の悩みも小さいだろうけど,悩んでいる個人も小さいのだから,相対的にはどっこいどっこいなのかも.

*1:もしきみが幸運にも/青年時代にパリに住んだとすれば/きみが残りの人生をどこで過ごそうとも/パリはきみについてまわる/なぜならパリは/移動祝祭日だからだ(ヘミングウェイ