伊達聖伸『ライシテから読む現代フランス 』岩波新書


伊達聖伸『ライシテから読む現代フランス(岩波新書)』を読んだ.


ライシテ(laïcité)についての本.私は(このサイトを開く前に)パリにしばらく住んでいた時期があって,最近は,フランスに行く機会があまりないけれど(でも,2018年は3月にパリに10日ぐらい滞在したし,7月にも1週間ぐらい滞在予定,つきあいの長い知人も何人かいるし),フランス社会にはやっぱり関心がある.ライシテについても,一度,理解しておきたいなと思っていたので,この本を見つけてさっそく購入した.


ライシテは,strict secularism(厳格に,公の場に宗教を持ち込まないこと)などと訳されることが多い.しかし,その見方が単純すぎることが,第1章「ライシテとは厳格な政教分離のことなのか」で説明されている.1905年に成立したライシテ(政教分離法案)は,ローマカトリック教会へ対抗して作られたと説明されることが多いが.その当時でもライシテにはいくつもの意味合いがあったという.専門家のジャン・ボベロによれば,1905年当時でも,
(1)宗教を敵視するライシテ
(2)(国家が宗教を管理統制する)ガリカニスムのライシテ
(3)個人の信仰を重んじるライシテ
(4)宗教組織に協調的なライシテ
の4つの類型があったという.さらに,それ以降,(5)アルザスモーゼルの3県における「コンコルダートのライシテ」,(6)宗教の公共性を強調する「開かれたライシテ」,そして(7)公的秩序に訴える「アイデンティティのライシテ」の3つの類型が付け加わるという.


第1章ではライシテがどのようなものかについて書かれているが,本書の主題は,なんといっても,シャルリ・エブド事件(2015年1月),それからテロ事件(2015年11月)のような,ライシテとイスラームの関係にあるだろう.第2章や後書きに書かれているように,著者は「イスラームに向き合うカト=ライシテという現在の構図を,文明の衝突論に落とし込まない」ようにしたかったという.さらに著者は,「カト=ライシテというマジョリティの論理と宗教的マイノリティの関係へと見方をずらずことで,自己批判と共生への努力が過去にもあり,現在もあることから,一縷の希望が見えてくるのではないだろうか」と続ける.


第2章「宗教的マイノリティは迫害の憂き目に遭うのか」では,「自己批判と共生への努力が過去にもあり,現在もあること」の例証として,ライシテに関係する事件が3つ挙げられている.一つは,フランス革命前のジャン・カラス事件(ここでは,プロテスタントが宗教的マイノリティになっていて,処刑されたプロテスタント商人のカラスの名誉回復のために.ヴォルテールは『寛容論』を刊行した).もう1つはドレフュス事件(ドレフュスはアルザス出身のユダヤ人で*1,ここではユダヤ教徒が宗教的マイノリティ),そして最後が1998年のスカーフ事件(宗教的マイノリティは,ヴェール姿のムスリムの少女たち).


第3章「ライシテとイスラームは相容れないのか」では,「フランスのムスリム」とみなすことのできる言論人や社会活動家(サイーダ・カダ,ドゥニア・ブザール,サードルト・ジャヴァン,ファドゥラ・アマラ,フーリア・ブーテルジャ,タリク・ラマダ*2,アブデヌール・ビタール,アブダル・マリク)が,ライシテをどう捉えてているか,非常に多様な声が書かれている.

感想

ライシテとイスラムの異質性を文明論や本質主義に落とし込まずに,カト=ライシテというマジョリティの論理と宗教的マイノリティの関係へと見方をずらしたい,という著者の姿勢はいいなと思った.


一方で,第3章の多様な見方は,私には複雑で難しかった(ポジティブに書くなら,ライシテの多様さが感じられた).言論人の発言だけでなくて,フランスに住む普通の(一般の)ムスリムの人たちが,ライシテをどう捉えているかを知りたいと思った.また,ライシテがフランス社会でどのくらいの位置を占めているのかも知りたいと思う.現代フランス社会というポリフォニーを流れる基底音の一つではある気はするのだけど,それ以外にもいろいろとあると思うので.


ついでながら,Economist 誌(May 9th 2017)によれば,マクロン大統領は,ライシテについては,

Although he accepted that Islam was a unique subject of concern in today's France, he was equally adamant that no religion was in itself a problem. The purpose of France's regime of laïcité (strict secularism) was not “to conduct a battle against this or that religion in particular, not to exclude, not to point a finger…” As he conceived it, the function of laïcité was not to curb religion but to affirm and underpin religious freedom, albeit strictly within the framework of the law.


という立場だそう.第1章に書かれているライシテの7つの類型だと,(1)「宗教を敵視するライシテ」は拒否していて,(2)(国家が宗教を管理統制する)ガリカニスムのライシテと(3)「個人の信仰を重んじるライシテ」という感じだろうか.

*1:そういえば,マルク・ブロック(2016-03-31参照)も,アルザス出身でユダヤ出自だった.

*2:Economist 誌(Nov 10th 2017)によれば,「Tariq Ramadan, a star of Europe's Muslim intelligentsia, confronts accusations of rape. The Oxford professor, who denies the allegations, has taken a leave of absence」とのこと.