『後世への最大遺物』
ある人がこの本が良かったと書いているのを見て購入.この本は教訓談に入るのかな?
- 作者: 内村鑑三
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2011/09/17
- メディア: 文庫
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内村鑑三が,1894年(明治27年)に,キリスト教徒夏期学校で述べた講話をまとめている.以下にざっとまとめたい.
子供のときに,頼山陽の「十有三春秋,...,千載列青史」の詩を読んで,自分も歴史に名を残す人物になりたいと思った.その後,キリスト教に接して,歴史に名を留めるという望みは,肉欲的で不信者的な考えであり,捨てなくてはならないという考えが起こってきた.しかし,さらに自分の心に問うてみたとき,自分に命をくれたこの美しい地球,この美しい国,この楽しい社会,自分を育ててくれた山,河に何かを遺していきたいと思うようなった.では何を遺してゆけばよいのか.
第一は金である.第二は事業である.しかし,金を貯め使う特別の才もなく,事業をおこす特別の才も社会的地位もないときは,私たちはどうすればよいのか.
まだ遺すものがある.それは思想である.著述をすることであり教育をすることである.『新約聖書』,頼山陽の『日本外史』,ジョン・ロックの『人間知性論』は社会に大きな影響を与えた.しかし,金を遺すことができず,事業を遺すことも出来ない人が,かならずや文学者か学校の先生となって思想を遺して逝くことができるかというと,そうではない.
人間が誰でも後世に遺すことのできる最大の遺物がある.それは,勇ましい高尚な生涯である.すなわち,この世の中は失望の世の中ではなくて,希望の世の中であることを信じることである.この世の中は悲嘆の世の中でなくて,歓喜の世の中であるという考えを我々の生涯に実行して,その生涯を世の中への贈り物としてこの世を去るということである.
以下に感想を.
内村が述べている小説や一般に文学に対する考えに,私はいろいろと思うところがあるけれども,それはこの本のテーマではないと思うので,ここでは触れない.
勇ましい高尚な生涯は,修養の生涯であると思う.先日の鴎外の「あそび」とはまた違う人の姿が描かれていると思った.
高尚な生涯の例として内村が挙げている,カーライル,貧しいながらも教会を建てる人,あるいは二宮尊徳などはみな歴史に名を留める(千載青史に列する)人である.私が読んだ限りでは,高尚な生涯を遺すことと歴史に名を留めることは全く違うことを,内村は明確には書いていないように思う.
私たちの身の回りには,有名ではないけれど,その人のことを思うと,自然と敬愛の念が起こったり心が優しくなったり元気が出てくるような人がいる.その人が生涯を終え,その人を直接知っていた私たちも生涯を終えると,その人が生きていたという証は,歴史の暗闇の中に沈んでしまう.しかし,そういうものだし,それでいいんだとも思う.