神谷美恵子展

思文閣神谷美恵子展『没後30年 神谷美恵子がのこしたもの』が開催されている.先日,近くまで用事があったのでその帰りに見てきた.

希有の語学力をはじめとして多くの才能に恵まれた神谷氏は,「病人が呼んでいる」と文学から医学の道へと進んだ.著者が28歳から31歳の間に書いた『若き日の日記』を,私は20代半ばの頃に読んだ.

しかも人間の相対性,有限性,弱さに,自らも泣き,その故に深きいたわりを持つ人.

バッハの平均律を弾いていて涙が出た.
ずっと前からさだめられていた道に追いやられ追いやられするだけだ.私に特別な哲学なんかない.また,何かの形で当てはまるような信仰もない.理想もない.要するに歩まざるを得ないように歩むまでだ.その道の価値を問う勿れ,必然に対して何の言うべきことやある.

吉益先生はスピノザのことを言って居られた.何かひとつやり遂げるには非常な Willenkraft [意志力]と困苦に耐える堅忍の精神の必要なること,を言って居られた.それはたしかにそうなのだ.今までの十年間のその味は相当味わって来た.しかし「やり遂げる」という建設と完成は今からこそ始まらねばならない.今までのように,ただ準備準備という気持であってはならない.もはや絶対にディレッタントであることは許されない.

ああ,つくろう,書こう! ゆうべはマンテガッツァがまだ二十三歳くらいの時に書いたというこの名著を読みながら心が燃えた.いたずらに精力を散らさないで,いくつかのはっきりした題目を決めて全心全力を其処に凝らそう!
神谷美恵子『若き日の日記』より

著者が日記を記した年齢と私が読んだ時の年齢だけは近かったかもしれないけど,時代から性別から才能から余りにも違う著者のこの本をどういう気持ちで読んだのかもうあまり思い出せない.本を読んだ当時は,上に引用した部分などが印象に残ったみたいだ.今の自分にとっては,上に引用した部分などは,「しんどい」と感じてしまう.

今回の神谷美恵子展では,神谷さんのそういう若い頃よりも,結婚した後の若くはない頃の「忙しい,忙しい」という時期が印象に残った.読書と同じで,自分の年齢などそのときどきの状況によって,印象に残ることは違うのかもしれない.

ついでながら.

むしろ,神谷さんに近いのはらい者をみとろうとした人々,すなわち西欧の中世において看護というものを創始した女性たちである.その中には端的に「病人が呼んでいる」声を聞いた人がいるかも知れない.神谷さんもハンセン氏病を選んだ.神谷さんの医師になる動機はむしろ看護に近いと思う.この方の存在が広く人の心を打つ鍵はそこにある.医学は特殊技能であるが,看護,看病,「みとり」は人間の普遍的体験に属する.一般に弱い者,悩める者を介護し相談し支持する体験は人間の非常に深いところに根ざしている.
中井久夫『記憶の肖像』より