シモーヌ・ヴェイユの手紙から

ちょっと話は変わるけど,シモーヌ・ヴェイユの手紙から(訳はかなり適当です).

私は14歳のとき,思春期特有の底のみえない絶望にとらわれました.自分の生まれもった能力が平凡だからということで,死ぬことを真剣に考えたのです.(...)外的な成功のないことは残念に思いませんでしたが,真理の住む,本当に偉大な人々だけが入ることのできるあの超越的な国に,私は近づけないだろうことが嘆かわしかったのです.

シモーヌ・ヴェイユ『神を待ち望む』

私は詳しくないので,彼女のいう「真理」(la vérité)がプラトンイデアみたいなものなのか,音楽なども含めた広いものを指しているのか,あるいは狭いものを指しているのか,どういうものなのかよく分からない.

この内なる絶望に何ヶ月か苛まれたあとに,私は,突然,確信したのでした.その確信は今にいたるまで続いています.どんな人でも,たとえ生まれもった能力がほとんどない人でも,ただ真理を望み,真理を得るために絶えず注意をはらって努力すれば,天才だけにあるこの真理の国に入ることができるのだ,と.そういう人は,才能の乏しさのために外から分かることはありませんが,ひとりの天才になるのです.

シモーヌ・ヴェイユ『神を待ち望む』

最後の一文が私には難しい.なんとなくどんでん返しのような気がするのだけどどうだろう.

最後の一文を除いて考える.こういう確信は私にはないなあ.どんなに望んで努力しても,かなわないことは沢山ある(というかそういうことだらけ)と思う.もっとも,しんどいことの多い世の中だけど,「ねえ……また,きっといいこともあるよ」*1かもしれないと思う(ちょっと大げさで,それほど自信があるわけではないけど).

*1:焦げた手拭いを頬かむりした中年の女が二人、ぼんやりと路傍に腰を下ろしていた.風が吹いて,しょんぼりした二人に,白い砂塵を吐きかけた.そのとき,女の一人がふと蒼空を仰いで「ねえ……また,きっといいこともあるよ.……」と,呟いたのが聞えた.自分の心をその一瞬,電流のようなものが流れ過ぎた.
山田風太郎『戦中派不戦日記』東京大空襲の翌日の日記より