三浦篤『まなざしのレッスン 1西洋伝統絵画』

まなざしのレッスン〈1〉西洋伝統絵画 (Liberal arts)

まなざしのレッスン〈1〉西洋伝統絵画 (Liberal arts)

(0) 「絵の見方」を学ぶこと

昨年に,旅行の飛行機の中などで,三浦篤『まなざしのレッスン』を読んだ.神話画や宗教画などの西洋伝統絵画を鑑賞するためのポイントが書かれていて,とても面白かった.具体的な鑑賞のコツも面白かったのだけど,「「絵の見方」を学ぶこと」という,最初に書かれた部分が印象に残った.

絵など自分の眼で自由にみればよいとする考え方には,実は大きな錯誤があると私は思っています.たとえそう意図したとしても,私たちは必ずしも「自分の眼」で見ているわけではなく,「自由に」眺めているわけでもないのです.(中略)とするならば,「無垢なまなざし」が存在しえない以上,中途半端であるよりは,もっとしっかりした装備を行った方が実り多いと私は提案したいのです.(p.4)

過去に属する特定の歴史的,社会的,文化的状況下で,自分とは異なる価値観を持つ人間が作りだしたイメージという条件が無視できないように,そのイメージを今この私が見ている,特殊な人生を背負ってこの時代を生きるある個人の眼が眺めているという条件も決して消去できない.(中略)しかしながら,知的な手続きを通した作品理解と,文字通り絵肌に触れるような新鮮な視覚体験が,互いを損ねることなく折り合わされたときほど,言いかえれば,今この私が自分の眼で歴史的な存在としての作品の内実を追体験したときほど,絵を見る醍醐味を感じる幸福な瞬間はないでしょう.(p.5)

最初に読んだときはなるほどと思った.でも,知的な作品理解と新鮮な視覚体験について,少し疑問に思うことも出てきた.(1)(2)(3)の順に,疑問がより深まる感じ.

(1) 鑑賞するのに知識を必要としない,絵画もあるのではないだろうか.

神話画,宗教画などを鑑賞するには知識があるといいのかもしれない。実際,10年くらいまえに休暇を利用してイタリアに遊びにいったとき,パドヴァでスクロヴェニ礼拝堂のジョットのフレスコ画を見た.すごかった.でもそのときに,もし敬虔なキリスト教信者が見たらもっと深い所で感じることがあるのだろうなと思った.

ということで,神話画,宗教画などは(0)が正しいのかもしれないけど,近代画はどうなのだろう.この本は『まなざしのレッスン』の1巻目とある.2巻目を読みたいと思う.例えば,Paul KleeやMark Rothkoの一部の絵を、私はとてもいいなぁと思うのだけど,こういう絵は鑑賞するのに知識は必要とされるのかなぁ?

(2) もう一つは、もっと本質的なところで、知識は必要なのだろうかということ。

2011-05-02でも引用した文章から別の箇所を.

私が科学を学びはじめたときの環境はあまりにも辺境的であり、そこで身に付けた科学への心構えは研究をするうえでの障害となり、容易に取り去ることはできなかった。科学の人間臭さにくたびれたときに、絵画を見ることが私の心をいつも解き放ってくれた。どのような巨匠の作品も、それらを創作した人を思い浮かべずに見ることができた。ひとつひとつの作品のもつ世界を完全に共有できたと思うことさえあった。

私は、遂に探し求めたものを発見した人問がするように、いつまでもそこに座っていた。私にとっての啓示がまさにそこにあった、現在でも私はガウディの人物について何も知らない。しかし、今はそれを知る必要はない。私にとってのガウディは、ガウディ的なものとして私の心の中で普遍化されてしまったのだから。

柳田充弘「わが心のホテル・ガウディ」

上で書いたイタリアに遊びにいったときに,フィレンツェウフィツィ美術館に行った.美術館では,ボッティチェリの巨大な絵の前に佇んで,ただぼーっと眺めて幸せな気持ちに浸った.神話画の宗教画の知識があれば,ボッティチェリの絵をより深く理解することができるかもしれない.でも,私の感じた喜びは,知識とは関係ないかもとも思う.

(3) 美を理解するためには,知識は邪魔になるのではないかということ.

Geraldine Harrisという人の書いたThe Seven Citadelsというファンタジー4部作『Prince of the Godborn (Seven Citadels Book 1) (English Edition)など』のある部分を連想した(著者は、オックスフォード大学の教員で,エジプト学が専門らしいです).大学生だった頃に読んだえらく古い本です.

Very slowly, Vethnar turned towards the splendour. Twelve fiery turquoise wings beat out an intricate rhythm and at their centre was an eyeless face full of mouths opened in song. Kerish knew as he looked at it that all his life he had misinterpreted beauty. This was far more lovely than any human face.

For a long moment Vethnar trembled with joy but the harmonies that were the creature's voice were too complex to be endured. Already his mind was breaking them up into parts small enough for him to grasp. Abruptly the great wings were stilled. The crystalline lips whitened and the music dissolved into discord and died away. The creature hung motionless before him, not beautiful, but grotesque and Vethnar covered his face and wept.

Geraldine Harris, "The Seven Citadels"

かっこつけて書くと,分析することで失われる何かもあるのではないかと思う.(0)に合わせて書けば,知的な作品理解と新鮮な視覚体験が,互いを損ねることなく折り合うことはできるのだろうかという疑問.