『戦艦大和ノ最期』,『夕凪の街桜の国』

2006-12-10と同様,1〜2年ぐらい前に書いたものをアップします.ちょっと内容が重いです.

吉田満著作集〈上巻〉

吉田満著作集〈上巻〉

私は明治(あるいは江戸)から現在にいたる日本(と世界)の歴史を,先入観を持たずに,自分なりに理解を深めたいと思っています.しかし,どちらかというとこの気持ちは義務感なので(宿題みたいなものですか),まぁ,どこまでするかはわかりませんが…….

何年か前に,吉田満著作集で「戦艦大和ノ最期 (講談社文芸文庫)」などを読みました.学生出身の若い海軍少尉として戦艦大和に乗り込み,奇跡的に一命をとりとめた著者は書きます.

我々にとって,戦陣の生活,出撃の体験は,この世の限りのものだったのである.若者が,最後の人生に,何とか生甲斐を見出そうと苦しみ,そこに何ものかを肯定しようとあがくことこそ,むしろ自然ではなかろうか.(中略)このような昂りをも戦争肯定と非難する人は,それでは我々はどのように振る舞うべきであったのかを,教えていただきたい.我々は一人残らず,召集を忌避し,死刑に処せられるべきだったのか.或いは,極めて怠惰な,無為な兵士となり,自分の責任を放擲すべきであったのか.──戦争を否定するということは,現実に,どのような行為を意味するのかを教えていただきたい.単なる戦争憎悪は無力であり,むしろ当然過ぎて無意味である.誰が,この作品に描かれたような世界を,愛好し得よう.(「戦艦大和ノ最期」あとがき)

おそらく,昭和20年の段階では,個人が選択できる振る舞いかた,行為は非常に限られたものでしかなかったでしょう.勝ち目のない戦と知りつつも最後まで士気を失うことのなかった吉田氏は,(他の人も書いていたように)テルモピュライの戦いにおけるスパルタの兵に比せられるのかもしれません.吉田氏に限らず,どの人にとっても昭和20年は劇的な年だったのでしょう.広大な中国大陸を行軍した若者にとっても,日本にいて空襲で家を焼かれた人にとっても.そして大勢の人が戦争で亡くなりました.

では,昭和20年から過去にさかのぼっていっても,個人が選択できる振る舞いかた,行為は限られていたのでしょうか.中日・太平洋戦争の前には,アジアへの侵略があり,その前には,1905年の日露講話条約・日比谷焼き討ち事件があり,より遡ると,明治政府の富国強兵政策があり…….最初に,明治から現在にいたる日本の歴史を自分なりに理解したいと書いたのは,このような気持ちもあってなのです.

ある人は,戦争の記憶は「風化」させるのではなく「浄化」されなければならないと言います.しかし言葉を置き換えても,「浄化」が具体的に何を意味するのかはとても難しいです.おそらく,長く見えても60年はまだ短いのでしょう.*1


夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)

夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)

今日*2と関連づけるのはあまり適当でないですが,こうの史代『夕凪の街桜の国』双葉社(コミック)を年初に読んで,とてもよかったです.

ヒロシマのものがたりとしてでなく,昭和30年の広島に生きたある女性のものがたり,そして現在の東京に生きるある女性とその家族のものがたりとして,この作品を読みたいと思いました.しかし,ヒロシマが背景にあるからこそ,ときに手のぬくもりようにして伝わる,市井に生きる私たちの弱さと強さ,優しさが,こんなにも印象深く描かれているのだとも感じました.

*1:この文章は2005年8月15日に書いたのでした.

*2:上の脚注参照